「絵本のまち、かわさき」と社会起業家 小松雄也の活動記録

【経歴】神奈川県川崎市出身。明治大学法学部を卒業後、出版業界最大手に就職。入社1年目で複数の企画で全社1位となり、社内のビジネスコンテストでは優秀アイデア賞を獲得。その後独立。 学生時代に周りの「読書離れ」が進んだ現状に強い危機感を抱く。大学図書館で一人奮闘する中、書評合戦ビブリオバトルと出会い、本を通じた人々の交流に可能性を見出す。2014年に読書を通じた世代間の交流、地域活性化や読書教育へと本格的に取り組むため、在学中に一般社団法人ビブリオポルトスを設立。小中学校での読書教育や、新聞で書評を担当する等、精力的な読書普及活動を続ける。第31回人間力大賞 会頭特別賞。「川崎市における読書普及活動」で第10回マニフェスト大賞 審査委員会特別賞(秋吉久美子選)を受賞。

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「肉体の悪魔」 ラディゲ 新潮文庫 訳者 新庄嘉章

肉体の悪魔 (新潮文庫)

三島由紀夫が少年時代から耽読した作家、レイモン・ラディゲ(1903~1923)
新潮文庫の本作には表題作ともう二編が収められています。
ワンコインでこの名作が読める現代に心から感謝したいです!
(これは本当に素晴らしいことなのです!)
驚くことなかれ、この作品をラディゲが書いたのは16~18歳の時であります。
パリ近郊の小都市サン=モールに生まれ、14歳から詩を書き始めていたそうです。
これだけの作品を書きながら、ラディゲは腸チフスのため20歳で夭折します。
ラディゲの素晴らしい才能を是非とも堪能して欲しいと思います。

1. 時間を分けて考えたい
こんなぐあいに、遊んだり勉強したりといった生活の不利なことは、一年中まがいものの休暇になってしまうことだった。
浪人生活を三年も(!)歩んできた私にとって、この言葉は首肯せざるを得ません(笑)。しかし、物は言いようで、ギャップイヤーという言葉もあります。カナダへの語学(野球)留学・甲子園でのアルバイト・スポーツジムのインストラクターと、期せずして私はギャップイヤーを満喫していたようです。だが、やはり中途半端な状態では実入りが少ないこともまた事実であります。遊ぶときは遊び、勉強するときは大いに勉強する。このようなけじめと覚悟は、持っていた方が良いのは間違いありません。

2. たまにはストイックに
一番僕を苦しめたのは、僕の官能に課せられた断食だった。僕のいらただしさは、ピアノのないピアニスト、たばこのない愛煙家のそれであった。
意識的に毎日の習慣に制限を加えてみると、自分にとって本当に必要なものが分かってきます。私の場合、長時間のネットサーフィンを一切やめてみると、読書や勉強に費やす時間が劇的に増え、睡眠の質も向上しました。日常生活では、無意識の内に習慣化してしまうものが多いため、試しに一度、無駄かもしれないと思うことを止めてしまうことをお勧めします。ポイントは一切を断つことです。日常には、想像以上に余計な時間が多いため、たまには断食をするぐらいが丁度良いのかもしれません。

3. 静けさが恋しいときもあるが
墓場とか、ある一定の部屋でなければ、死んだ人や、今目の前にいない恋人のことを考えられないものだろうか?
そんなことはないと思います。思索するのに適切な場所というものはあるでしょうが、基本的に考えるという行為は場所を問わないはずです。私は、散歩をしながら考えることが好きです。今まで電車で通り過ぎていた駅に降り、初めて歩く街は格別であります。そこから二時間も三時間もかけて。自分の親しんだ道まで目指すのは、素晴らしい時間です。考えがまとまらない時や、面白い発想が出ない時には、私はとりあえず歩き始めるのです。

小松雄也

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「下山の思想」五木寛之 幻冬舎新書

下山の思想 (幻冬舎新書)
世界史史上、奇跡ともいわれる復興を果たした経済大国日本は、そろそろ下山の段階にあると著者は指摘します。下山とは、後ろ向きな行動ではなく、次の登山のための準備であるとも言えます。むしろ下山こそが登山の醍醐味ではないでしょうか。
この本は大学生の時に法学部の同級生に勧められました。この同級生も変わり者で、法学部を卒業した後に文学部の大学院に通い、哲学者になる事が将来の目標であると語っていました。面白い友人に勧められた本は、たいていの場合面白いです。

1. 下山こそ油断は禁物
下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するだろう。下界を眺める余裕も生まれてくるだろう。自分の一生の来し方、行く末をあれこれ思う余裕も出てくるだろう。
私も山が好きです。とは言ってもフル装備での本格的な登山ではなく(雪山は怖いです)、散歩と同じ服装で友人と何時間も話しながら登ることが好きです。山頂に辿り着くと、下山を控えているにもかかわらず、八割方仕事を終えたような気持ちになってしまうことはないでしょうか。しかし、下山こそが最も注視すべき大仕事です。足を踏み外すことは下山中の方が圧倒的に多く、家に帰るまでが登山なのであります。

2. 誰を信頼するのか、しないのか
情報のなかから、なるほどと納得できるものを選んで、日々の暮らしに使う。しかし、巷にあふれる情報は、ほとんど当てにならない。ある人は白といい、ある人は黒という。
私たちは基本的に専門家ではないため、目新しい情報へのリテラシー能力は低くならざるを得ません。信じる、信じないは個人の裁量に丸投げされ、判断は自己責任だとあらゆる場面で切り捨てられます。このような時代では、誰が信頼できるかどうかが、私たちには重要になってきます。それは専門家か、または知見の深い友人であるのか。情報を判断するためには、どの人の判断を参考にするのかが、現代では肝心であります。

3. 努力は続ける才能
努力が苦手に生まれついてきた人間は、どう生きればよいのか。私の少年期の悩みは、常にそのあたりにあった。
好きなことは、やり続けても疲れない、とは私が経験の中で得た哲学です。私の周りにも、ひたすら努力をすることが好きな友人たちがいます。しかし、彼らが全員優秀かと問われると、そうでもありません。おそらく努力には質があるのでしょう。ところで、私は「努力」や「頑張る」といった言葉があまり好きではありません。特に「頑張る」とは、当て字ではあるが、頑なに張るという字面が、力んでいる感じがして、しんどい。もっとリラックスをして、情熱を何かに向けたいと思います。

小松雄也


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「女生徒」太宰治 角川文庫

昭和13年(1938年)9月に女性読者有明淑(当時19歳)から太宰のもとに送付された日記を題材に、14歳の女生徒が朝起床してから夜就寝するまでの一日を主人公の独白体で綴っている。思春期の少女が持つ自意識の揺らぎと、その時期に陥りやすい、厭世的な心理を繊細な筆致で描き出し、当時の文芸時評で川端康成たちから激賞され、太宰の代表作の一つとなった。
太宰治の十八番である「女性視点からの告白体小説の手法」で書かれた作品が、計14作この本に収録されています。その中でも表題でもある「女生徒」は、私の最も好きな太宰の作品の一つです。一人の少女の視点から語られる普段の何気ない日常生活の描写は、現代の私たちに多くの気付きをもたらし、時に鋭く批判します。ちなみに私は三島由紀夫(太宰が大嫌いで大好きな天邪鬼)が好きですが、三島の嫌っていた太宰も好きなのです。

女生徒 (角川文庫)
1.人生の中での、読書の重要性
自分から本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。それほど私は。本に書かれていることに頼っている。
すぐに浮かんできたのは、ショウペンハウエルの「読書について」の一節です。読書=他人の思考の模倣と位置づけ、他人の頭で考える過ぎることの危険性を示したのが本書ですが、私は本を読む中で、自分の思考を放棄しているのだろうか、と自問自答することがあります。(他者の思考をなぞることで、考えたふりをしているのではないか?)しかし、私にとって本のない生活は非常に恐ろしいです。そこに本があれば、安心して怠ける(!)ことができますが、本がなければ休日の自分がどうなるのか見当もつきません。それはおそらく学ぶということは「まねる」ことであり、他人の思考を模倣することが一つの出発点だと無意識のうちに確信しているからです。

2.無知の知、言うは易し行うは難し
本なんか読むの止めてしまえ。観念だけの生活で、無意味な、高慢ちきの知ったかぶりなんて、軽蔑、軽蔑。
これも正直耳が痛いです笑。本を読んでいて、このような一節と出会うことこそが読書の醍醐味ではあるとも言えますが。有名な作家の代表的な作品には、なるべく触れようと意識しているが、それでも、読んだことのない本が友人との会話の中で挙がることは多いと思います。知らない本や題名だけを知っている本に対して、素直に、読んだことがない、と一言つければいいものの、時に変な見栄が働いてしまうことがある。(これぞ虚栄心ですね)無知は恥ではないと言いますが行動に移すことは難しいです。

3.一面だけで良い
美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。きまっている。だから、私はロコロが好きだ。
芸術は綺麗であるべきか、という問いに真っ向から反対する人物は川崎市が生んだ芸術家・岡本太郎です。氏は「芸術とは心地よくあってはならない」と主張します。人によって美意識は大きく異なりますが、基本的に美しいものは好まれる傾向にあるのではないでしょうか。しかし、全く同一の美しいもに、安心を抱く人と、恐怖心を抱く人が表れることもまた事実です。私は、美しいものには手を触れずに、少し遠くから眺めていたいと思います。

こちらの本は朝日学生新聞社が発行する朝日中高生新聞で書評したこともありますので、そちらの文章も掲載します。2016年7月24日発行の「青春ブックレビュー」に掲載されました。
「女生徒」太宰治 角川文庫  小さい

「日常見つめ直すきっかけに」
作家・太宰治が女性の視点に立って書いた14編からなる短編集です。表題作は、希望と絶望の間を揺れ動く、とある14歳の少女の心情が描かれています。
「自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう」と考えたかと思ったら、その後の場面では「本なんか読むの止めてしまえ」。
自分の考えについて、肯定と否定を繰り返す彼女。喜怒哀楽の入り交じった激しい表現で、彼女の内面が告白されます。
私がこの本と出会ったのは、主人公と同じ中学生の時です。当時の私は、野球が上手になりたい、学校の成績を伸ばしたいと思いながらも、しばしば練習の手を抜き、ギリギリまで机に向かいもしない。自分を変えようと思っても、いつも楽な方へと逃げてしまう。そんな自分に嫌気がさしていました。
結局は都合のよい方に流されてしまう彼女の姿を客観視すると、あまのじゃくな自分を考え直すきっかけになりました。彼女の日常に触れることで、自分自身を見つめ直してみませんか。

小松雄也


(1500回くらい再生されていた東京都が投稿していた動画が非公開のためこちらで笑)
紹介した本は三島由紀夫の「葉隠入門」という本です。

葉隠入門 (新潮文庫)
私が三島由紀夫に夢中になったのは、高校を卒業した後の浪人時代です。
カナダ・ヴァンクーバーに3か月間留学し、日本のことが上手く説明できない自分に失望し、その反動で読書にのめり込むという(勉強しろ!)泥沼の浪人生活を楽しく過ごしていました。
そこで出会ったのが三島由紀夫の美しい日本語です。
わたしは「葉隠」に、生の哲学を夙に見いだしていたから、その美しく透明なさわやかな世界は、つねに文学の世界の泥沼を、おびやかし挑発するものと感じられた。その姿をはっきり提示してくれることにおいて、「葉隠」はわたしにとって意味があるのであり、「葉隠」の影響が、芸術家としてのわたしの生き方を異常にむずかしくしてしまったのと同時に、「葉隠」こそは、わたしの文学の母胎であり、永遠の活力の供給源であるともいえるのである。すなわちその容赦ない鞭により、叱咤により、罵倒により、氷のような美しさによって。(「葉隠入門」プロローグ「葉隠とわたし」P15より抜粋)
この日本語に私は夢中になりました。
500円あれば新潮文庫で購入できますので(本体430円税別)ワンコインで最も人生を豊かにできる手段だと確信しているため、自信を持ってお勧めします!
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紀伊國屋書店新宿本店でもポップを作成して、実際に特集棚で売り出していただきました。IMG_1773
そして決勝戦の様子はTokyo MXの番組で放送され私もテレビデビュー!2014 1月1日明治大学広報
明治大学広報課にも取材いただき、35万部程度発行される第663号(2014年1月1日発行)に記事が掲載されました。

【書評合戦首都決戦に明大生が出場】
大学生・大学院生がお薦めの本を紹介し、観客が一番読みたいと思う本(チャンプ本)を決める書評合戦「ビブリオバトル首都決戦2013」が、11月24日、東京都千代田区のベルサール秋葉原で開催され、本学の小松雄也さん(法2)が出場した。
この大会は、本を用いてコミュニケーションを図ることや、若年層の読書機会を増やすことなどを目的に、東京都や東京都教育委員会などが主催している。全国各地区で行われた予選会には、延べ783人が参加。この日は、予選会を勝ち抜いた30人が、約3300人の聴衆を前に思い思いにプレゼンした。
参加者はまず、1組6人の5グループで準決勝を実施。小松さんは、江戸時代の武士の修養書「葉隠」を三島由紀夫が解説した「葉隠入門」を取り上げ、「高校卒業後カナダに留学した時、侍や武士道について考えた際に、現地で見つけた本」と出合った経緯を説明した。そして、「本の書かれた時代と現代で、意外な共通点が多いことも分かる。三島由紀夫文学を知るきっかけにもなる良書」と発表し、グループ内で最多の票を集め、決勝進出を決めた。決勝は各グループの最多得票者5人で行われ、小松さんは惜しくもチャンプ本選出とはならなかったものの、堂々と熱弁をふるい会場から拍手を浴びた。
http://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/20140101/p15_02.html

記事にある通り、優勝できなかったのは今でも悔しいですね!
しかしながら、この大会をきっかけに私の人生はビブリオバトルに大きく傾いて行きます。

次回は初の主催でビブリオバトルを地元で開催された記事を書こうと思います。
宜しくお願いします。

小松雄也

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いよいよ私の読書普及活動について書いて行きたいと思います。
私がビブリオバトルという言葉を知ったのは2012年の年末頃。
当時は明治大学法学部の1年生。風前の灯であったmixを活用して、入学式直前に学生を100人集めて新宿シェーキーズで交流会とかを開いていました。
今思うと情熱が盛大に空回りをしていたように思います。

今でこそ読書普及がライフワークですが当時は明治大学和泉図書館でモラトリアムを浪費する一学生でした。自分の選書で本棚作成をしたり、新宿紀伊國屋で100万円分の図書館用の本を購入するブックハンティングに参加したりしていました。(こう書くとなんだかんだ本に関する活動をしていますね)
ブックハンティングでは一人で60万円分の本を選書し、担当者を大いに困らせました。
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明治大学図書館の過去の記事に■小松雄也さん(法・1)の写真がありました。
当時は体脂肪率が10%程度の頃なので、なんとかく眼光が鋭い笑
ビブリオバトルという言葉を初めて聞いたのは、明治大学和泉図書館のイベント。
確か2012年12月15日(土)、主催は図書館の職員で、当日参加した学生はなんと2名。
職員の集客力に失望して、私は参加すらしませんでした。(反抗期) ビブリオバトル?
なんだそれ?という当時の世間一般と同じ反応で、全く興味が湧きませんでした。
運命的な出会いを果たしたのは2013年3月。その時のことを今でも覚えています。
場所は川崎市の有隣堂 武蔵小杉東急スクエア店
情報通の親友と本屋に立ち寄ると、1冊の本を私に紹介してくれました。


ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム (文春新書)
それはビブリオバトルの本でした。
「最近、東京都の教育現場でビブリオバトルが流行っているらしい。小松は本好きだから向いているんじゃないか?」
この親友の一言で私の人生は大きく変わりました。
「ビブリオバトルは誰でも遊べる、誰でも開催できる、本の紹介を中心にしたコミュニケーションゲームだ。ビブリオバトルというゲームを仲間と遊ぶだけで、面白い本に出会える、お互いのことを知ることができる、自分の興味や読んだ本の面白さを知ってもらえる、プレゼンのトレーニングになると、大学、会社、まちづくり団体、小中高校、図書館、書店、学生団体、学会など様々なコミュニティで注目されてきているのだ。(本文P15より抜粋)」
文春新書のこの本と出会い、体系的にまとめられたビブリオバトルの魅力に取りつかれました。
(当時買った本は、現在は前職の日販首都圏支社8Fの本棚スペースに寄贈してしまったが、今手元にある本はビブリオバトル関連の賞をもらった際、著者の立命館大学教授・谷口先生のサイン本です)
特に「本を通して人を知る・人を通して本を知る」というキャッチフレーズが気に入り、感動そのままに早速ビブリオバトル普及委員会という全国組織に連絡、ちょうど谷口先生が東京都千代田図書館でビブリオバトルの講演をするということで、参加することにしました。(善は急げ)
同時に明治大学でもビブリオバトルを開催することを決め、今度は企画からすべて携わることにしました。こちらは「ビブリオバトル首都決戦2013」という学生の全国大会の予選でもありました。
(そちらの様子は明日に書きたいと思います!)P4154429
ビブリオバトルの書籍は何冊も発売されていますが、その中の一つに私も寄稿した本があります。

ビブリオバトル ハンドブック
【内容紹介】
今、話題の知的書評合戦「ビブリオバトル」のすべてがわかるハンドブック。図書館や書店、職場やカフェのほか、居酒屋や古民家、山頂や河原での開催例などが満載。また、学校での多彩な開催例やビブリオバトルを楽しむためのアイデア、Q&A等も掲載されている。巻末には、ビブリオバトルに参加した際、発表された本などを書き留めておける書きこみノートもあり、備忘録としても活用可能。持ち歩きできるコンパクトサイズの1冊。

今月中に書ければと思いますが、川崎市岡本太郎美術館で開催したビブリオバトルのレポートを寄稿しています。印税は入りませんが執筆時に図書カードをいただきました!
こちらは日本全国の事例集として活用できますので、ビブリオバトルを学ぶのにちょうど良いです。
他にもビブリオバトルをテーマにした小説が多数出版されています!
是非とも手に取っていただければ幸いです。

小松雄也拝

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