「絵本のまち、かわさき」と社会起業家 小松雄也の活動記録

【経歴】神奈川県川崎市出身。明治大学法学部を卒業後、出版業界最大手に就職。入社1年目で複数の企画で全社1位となり、社内のビジネスコンテストでは優秀アイデア賞を獲得。その後独立。 学生時代に周りの「読書離れ」が進んだ現状に強い危機感を抱く。大学図書館で一人奮闘する中、書評合戦ビブリオバトルと出会い、本を通じた人々の交流に可能性を見出す。2014年に読書を通じた世代間の交流、地域活性化や読書教育へと本格的に取り組むため、在学中に一般社団法人ビブリオポルトスを設立。小中学校での読書教育や、新聞で書評を担当する等、精力的な読書普及活動を続ける。第31回人間力大賞 会頭特別賞。「川崎市における読書普及活動」で第10回マニフェスト大賞 審査委員会特別賞(秋吉久美子選)を受賞。

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「檸檬」梶井基次郎

日本文学史上で最も美しい日本語を書いた人物は誰か?
という議論で三島由紀夫、志賀直哉、中島敦らと並び必ず名前が上がるのが梶井基次郎です。
彼の短編の中で特に「檸檬」と「桜の木の下には」は何度も読み返しました。
声に出して読むと文章をより深く味わうことができる名作です。


檸檬 (280円文庫)

1. 開き直るまでの道程
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終押さえつけていた。
私の経験の中で長らく他人と話す機会を持たずに鬱屈とした思いをため込んでいたのは、カナダから帰ってきた後の浪人1年目のことであります。そんなものは自分の心持次第でどうにかなる、と開き直るようになるまでは時間が必要でした。憂鬱だった当時を振り返ってみると、考え方が単一化して極端に走り、悪い方へ悪い方へと自分から転げ落ちようとする傾向にありました。今からすると笑い話でありますが、当時はとにかく必死だったわけです。やはり心の中に適度な適当さを持つことこそが、一番大切なのかもしれません。

2. 物に一目惚れ
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと云いたくなった程私にしっくりしたなんて私は不思議に思える。
別に普段からそれを探し求めていたわけではないありませんが、稀にそれを見た瞬間、特別しっくりくるものがあります。最近では現在愛用しているシャープペンシル(和製語)との出会いがそうでありました。理屈ではなく、体にフィットするのです。字を書く右手だけではなく、紙を押さえる左手、いや体全部がこのシャープペンシルと適合しているです。私は字を書くだけで楽しい毎日を送っています。

3. 飽きることで選別する
以前はあんなに私をひきつけた画本が、どうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持ちを、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
あれだけ好きだったものなのに、ある日突然興味がなくなってしまうことがあります。特に流行ものに対して、私は三日坊主になることが多い傾向にあります。二日程度、異様に熱中した後、三日目には飽きがきてしまうのです。そんな私の性質の中で、身の回りにあるものは洗練されていくはずだが、必ずしもそうとは限らないことが残念で仕方がありません。

小松雄也

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「肉体の悪魔」 ラディゲ 新潮文庫 訳者 新庄嘉章

肉体の悪魔 (新潮文庫)

三島由紀夫が少年時代から耽読した作家、レイモン・ラディゲ(1903~1923)
新潮文庫の本作には表題作ともう二編が収められています。
ワンコインでこの名作が読める現代に心から感謝したいです!
(これは本当に素晴らしいことなのです!)
驚くことなかれ、この作品をラディゲが書いたのは16~18歳の時であります。
パリ近郊の小都市サン=モールに生まれ、14歳から詩を書き始めていたそうです。
これだけの作品を書きながら、ラディゲは腸チフスのため20歳で夭折します。
ラディゲの素晴らしい才能を是非とも堪能して欲しいと思います。

1. 時間を分けて考えたい
こんなぐあいに、遊んだり勉強したりといった生活の不利なことは、一年中まがいものの休暇になってしまうことだった。
浪人生活を三年も(!)歩んできた私にとって、この言葉は首肯せざるを得ません(笑)。しかし、物は言いようで、ギャップイヤーという言葉もあります。カナダへの語学(野球)留学・甲子園でのアルバイト・スポーツジムのインストラクターと、期せずして私はギャップイヤーを満喫していたようです。だが、やはり中途半端な状態では実入りが少ないこともまた事実であります。遊ぶときは遊び、勉強するときは大いに勉強する。このようなけじめと覚悟は、持っていた方が良いのは間違いありません。

2. たまにはストイックに
一番僕を苦しめたのは、僕の官能に課せられた断食だった。僕のいらただしさは、ピアノのないピアニスト、たばこのない愛煙家のそれであった。
意識的に毎日の習慣に制限を加えてみると、自分にとって本当に必要なものが分かってきます。私の場合、長時間のネットサーフィンを一切やめてみると、読書や勉強に費やす時間が劇的に増え、睡眠の質も向上しました。日常生活では、無意識の内に習慣化してしまうものが多いため、試しに一度、無駄かもしれないと思うことを止めてしまうことをお勧めします。ポイントは一切を断つことです。日常には、想像以上に余計な時間が多いため、たまには断食をするぐらいが丁度良いのかもしれません。

3. 静けさが恋しいときもあるが
墓場とか、ある一定の部屋でなければ、死んだ人や、今目の前にいない恋人のことを考えられないものだろうか?
そんなことはないと思います。思索するのに適切な場所というものはあるでしょうが、基本的に考えるという行為は場所を問わないはずです。私は、散歩をしながら考えることが好きです。今まで電車で通り過ぎていた駅に降り、初めて歩く街は格別であります。そこから二時間も三時間もかけて。自分の親しんだ道まで目指すのは、素晴らしい時間です。考えがまとまらない時や、面白い発想が出ない時には、私はとりあえず歩き始めるのです。

小松雄也

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「音楽」三島由紀夫 新潮文庫

本作は婦人雑誌に掲載されていた三島由紀夫執筆の小説です。
三島作品の中でも亜流とされる小説「音楽」だが、私にはむしろ三島らしい作品のように思えます。
特筆して女性の描き方が恐ろしいのです。精神分析が物語の重要な位置を占めることから、三島はやりたい放題に女性の性を追求します。掲載誌が婦人誌であることから、簡潔で分かりやすい文章であるのもより本書の不気味さを際立たせます。

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))
1. インポテンツの時代
シュテーケルは、現代は不能者の時代であり、文化的に上層に位する男の大部分は相対的に不能であり女の大部分は不感症だ、とまで言い切っている。
例えば鬱病に対して処方されるセロトニン系の薬は、服用を続けていると、徐々に体に耐性ができてしまいます。同じことが性的興奮についても言えるかもしれません。ただでさえ強い刺激は、インターネットを通して誰もが容易に手に入れることが可能な時代となっています。人間本来の耐性は、数世代程度ではさして変わることはないはずなのではありますが、処方される薬の方がエスカレートしてしまうと、対応できない人が増えてくるのは当然ではないでしょうか。

2. 大抵のものは自分の思い通りにならない
ヒステリーとは、多分、こうした健全な性的興奮の身体的状況を純粋培養しようと試みる復讐的な企てなのである。もっとも「快」を通じてではなく、すべて「不快」を通じて。
ヒステリーとは神経症の一型であります。私たちはこの言葉を、日常生活で気軽に使い過ぎてはいないでしょうか。他人の注意を惹きつけてその支持を期待することは、人間誰しもが持っている承認欲求の一つの形に過ぎませんが、ヒステリーはそれらを体の異常という形でバランスを取ろうとします。例え満たされなくとも大丈夫だ、と客観的に自分をなだめることができれば良いですが、自分を冷静に見ることは難しいものです。多様な考え方を知ることこそが、唯一の処方箋になるのではないでしょうか。

3. 願望は現実の裏返し
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という諺が、実は誤訳であって、原典のローマ詩人ユウェナーリスの句は「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」と願望の意を秘めたものであるとは、まことに意味が深いと言わねばならない。
日本でも有名な諺が、誤訳であったとは!やはり文武両道という言葉があるように、両方のバランスが重要なのであります。しかし、古代ローマの時代にそのようなことを言ったのは、当時の武者たちの精神が未熟であったのだろうかと邪推してみたくなるのは意地悪でしょうか。