「下山の思想」五木寛之 幻冬舎新書

下山の思想 (幻冬舎新書)
世界史史上、奇跡ともいわれる復興を果たした経済大国日本は、そろそろ下山の段階にあると著者は指摘します。下山とは、後ろ向きな行動ではなく、次の登山のための準備であるとも言えます。むしろ下山こそが登山の醍醐味ではないでしょうか。
この本は大学生の時に法学部の同級生に勧められました。この同級生も変わり者で、法学部を卒業した後に文学部の大学院に通い、哲学者になる事が将来の目標であると語っていました。面白い友人に勧められた本は、たいていの場合面白いです。

1. 下山こそ油断は禁物
下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するだろう。下界を眺める余裕も生まれてくるだろう。自分の一生の来し方、行く末をあれこれ思う余裕も出てくるだろう。
私も山が好きです。とは言ってもフル装備での本格的な登山ではなく(雪山は怖いです)、散歩と同じ服装で友人と何時間も話しながら登ることが好きです。山頂に辿り着くと、下山を控えているにもかかわらず、八割方仕事を終えたような気持ちになってしまうことはないでしょうか。しかし、下山こそが最も注視すべき大仕事です。足を踏み外すことは下山中の方が圧倒的に多く、家に帰るまでが登山なのであります。

2. 誰を信頼するのか、しないのか
情報のなかから、なるほどと納得できるものを選んで、日々の暮らしに使う。しかし、巷にあふれる情報は、ほとんど当てにならない。ある人は白といい、ある人は黒という。
私たちは基本的に専門家ではないため、目新しい情報へのリテラシー能力は低くならざるを得ません。信じる、信じないは個人の裁量に丸投げされ、判断は自己責任だとあらゆる場面で切り捨てられます。このような時代では、誰が信頼できるかどうかが、私たちには重要になってきます。それは専門家か、または知見の深い友人であるのか。情報を判断するためには、どの人の判断を参考にするのかが、現代では肝心であります。

3. 努力は続ける才能
努力が苦手に生まれついてきた人間は、どう生きればよいのか。私の少年期の悩みは、常にそのあたりにあった。
好きなことは、やり続けても疲れない、とは私が経験の中で得た哲学です。私の周りにも、ひたすら努力をすることが好きな友人たちがいます。しかし、彼らが全員優秀かと問われると、そうでもありません。おそらく努力には質があるのでしょう。ところで、私は「努力」や「頑張る」といった言葉があまり好きではありません。特に「頑張る」とは、当て字ではあるが、頑なに張るという字面が、力んでいる感じがして、しんどい。もっとリラックスをして、情熱を何かに向けたいと思います。

小松雄也