「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎 岩波文庫

この本が単なる自己啓発本ではありません。
特に強調したいのが、この本が出版されたのは1937年ということであります。
言論統制の嵐が吹き荒れる中で、著者の吉野源三郎は「少国民への教育」という名目の下、これを執筆しました。「君たちはどう生きるか」この本で述べられていることを要約するとこの一言です。
私が子供たちへ最も読み聞かせたいと思う一冊であり、親や教師など子供と接する人たちにも特に読んで欲しい本です。

君たちはどう生きるか
1. 考え方にコペルニクス的転回を
自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしょう。
物事を客観視することは、存外に難しいことです。まして自分のことになると、どれだけ冷静に考えようとしても、主観の域を逃れられません。それでも、自分を客観的に分析したいと思うならば、なるべく多くの友人に話して、意見をもらうのが良いです。さらに、全く別の世代の人たちにも意見を聞いた方が、より詳細に自分の立ち位置を詳しく知ることができます。

2. 先ずは経験してもらう、五感で触れてもらう
絵や彫刻や音楽の面白さなども、味わってはじめて知ることで、すぐれた芸術に接したことのない人に、いくら説明したって、わからせることは到底出来はしない。
この次のページで「ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決して行かない」とあります。同じような経験がなければ、自分の人生と本とが共鳴しないのです。本を読むだけで、何かを知ったつもりになることは危険でもあります。その危険性については、いつも自分に言い聞かせていることです。自分の目で見て、耳で聞いて、五感を活用して触れた経験こそが、読書にとって何よりも大切なのです。「書を読もう、外で遊ぼう」(寺山修二の発展形)と声を大にして伝え続けます。

3. 善悪の判断を君に問う
肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。
何が人間の立派さであるか、と問われると、私にはまだ明確な答えが見つかりません。そのため、私が好ましいと思う行いについて書きます。私は「人の笑顔と挨拶」が好きです。家の近所を歩く祭には、会う人全員に笑顔で挨拶をしています。返してくれない人はめったにいないので、とても気持ちが良いです。笑顔と挨拶は、初対面の人とも、円滑にコミュニケーションを取ることができる最大の武器です。笑顔と挨拶は私たちの楽しい人生を、さらに豊かにしてくれるのです。


友人とこの本について対談をしたことがありますので、残っていた文章を載せたいと思います。

小松:今回私が紹介する本は吉野源三郎の書いた「君たちはどう生きるか」という本です。この本が描かれたのは、1937年という日本が日中戦争に突入して行ったような時代です。当時の言葉で「少国民」と呼ばれた子供たちに向けられた、読みやすい本となっています。軍国主義の政治体制の中で、ただそれに迎合するのではなく、そういった厳しい統制の中でこそ、失ってはならない、伝えたかった作者の強い思いが込められています。「コペル君」という中学二年生の男の子を主人公にして、大切な感情を学んで行く様子が、小説として書かれています。

加藤:1937年に出されたということですが、今の子供たちが読む際に、古臭さは感じませんか。

小松:確かに時代背景の違いを感じる部分もあります。しかし、これほど平和となった現代と、戦争に突入して行く当時を比較しても、決して色褪せることのない正義感や道徳、科学への関心、そういったかけがえのないものが作中に溢れているのですね。むしろ、当時の人たちが、自由を抑圧されてきた中でも、学びを止めなかったのかという姿勢を、「コペル君」を通じて感じることができるので、今の時代にこそ、読む意義があるのだと思います。

小松:この本と最初に出会ったのは小学生の頃でしたが、難しい、と感じたことも事実です。ただ、主人公の「コペル君」は、当時の私からすると年上の存在でしたので、一種の憧れのような感情がありまして、また科学への関心というものが、自分の中で深まって、育まれて行きました。小説の中では、ニュートンの林檎の話、ナポレオンの武勇の話や、仏教についての話などが出て来ます。作中で「コペル君」が色んなものに興味を持って動いて行くので、楽しく、分かりやすくそれらに触れることができました。

加藤:科学や歴史など、「教養」の書としても読めるのだと思ったのですが、実際にそういう本なのですか。

小松:「教養」というものを難しく大人の言葉で語ることは簡単だと思います。しかし、子供たちにも、初めて学ぶ人たちにも「教養」を分かりやすく教えるということは、とても難しいことではないでしょうか。小学生の時に初めて読んだ本でしたが、現在の大学生の立場から読み返しても、その度に新しい発見が出て来る本なのです。「科学入門」にもなり得る一方で、何よりも「君たちはどう生きるか」という題名の通り、自分たちの人生を様々な場面から振り返ることのできる書ではないでしょうか。

小松:(本文)「人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものをもっている。だから、自分の経験を人に伝えることも出来るし、人の経験を聞いて知ることも出来る。その上に、文字というものを発明したから、書物を通じて、お互いの経験を伝えあうことも出来る。
本というものに対して、ハッとさせられた文章です。先人の書いて来た文章というものは、知識の結晶であり、それらの集積である本に触れられるということはどれだけ幸せなことでしょうか。その本をいかに選んで、読んで行くのか、これが私の人生の指針となりました。この文章がきっかけで、読書にのめり込んで行くようになりました。

加藤:本を通じて学ぶ、ということでしょうか。一方で、万巻の書を尽くしても知り得ないものは、何であると思いますか。

小松:本書にも書かれていることなのですが、本を読んだことだけで分かったような気になるな、という意味の文章があります。本当の理解には、行動を通じてこそ得られるのではないでしょうか。飽くまでも本には、誰かの経験や実験に基づいた理論が書かれています。本から学んだことを通じて、自分がどう影響され、どのように行動したのか。実践を重ねる中で、自分だけが感じることのできる何か、それが万巻の書に勝るものではないでしょうか。

小松雄也