「絵本のまち、かわさき」と社会起業家 小松雄也の活動記録

【経歴】神奈川県川崎市出身。明治大学法学部を卒業後、出版業界最大手に就職。入社1年目で複数の企画で全社1位となり、社内のビジネスコンテストでは優秀アイデア賞を獲得。その後独立。 学生時代に周りの「読書離れ」が進んだ現状に強い危機感を抱く。大学図書館で一人奮闘する中、書評合戦ビブリオバトルと出会い、本を通じた人々の交流に可能性を見出す。2014年に読書を通じた世代間の交流、地域活性化や読書教育へと本格的に取り組むため、在学中に一般社団法人ビブリオポルトスを設立。小中学校での読書教育や、新聞で書評を担当する等、精力的な読書普及活動を続ける。第31回人間力大賞 会頭特別賞。「川崎市における読書普及活動」で第10回マニフェスト大賞 審査委員会特別賞(秋吉久美子選)を受賞。

小松雄也/川崎市出身の社会起業家。川崎市立下小田中小学校・西中原中学校卒業。

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「日本人の叡智」磯田道史 新潮新書

教科書に書かれていない人物たちによる、日本人の叡智の蓄積は凄まじいものであったと著者は言います。本作は、98人の日本を牽引してきた人物たちによる言葉をまとめた本です。登場する98人全員を、詳しく調べれば調べるほど、日本という国はとてつもないと実感します。彼らは偉大なる先駆者です。

日本人の叡智 (新潮新書)
1.山路愛山(1865~1917)
過去を現在にするは高等なる読書なり。外国の事を国内に適用するは読書力なり。
本を読むことは、自分の引き出しを増やすことだと確信します。蓄えた知識はいつ役立つか分からないし、忘れていくものも多いです。しかし、何かの拍子に自分の道を切り開く発想は、間違いなく読書から生まれてきます(私を見てください!笑)。一度忘れた知識は、決して無駄ではないのです。忘れるということは、その人の血となり骨になるようなもので、短期的な成長は見られなくとも、体の深い所に入っているのであります。忘れた知識が蓄積され、飽和することで体から溢れ出てくる時、素晴らしい人格とアイディアは生まれてくるのです。

2.森山市左衛門(1829~1919)
自分を鍛ふ為に困難が湧いて来るのじゃと思へば、如何なる困難が来ても少しも辟易することなく、益々勇気が加はる
嫌なことは辛いし、苦しい。楽しくて好きなことだけをしたくとも、なかなかそういうわけにはいかないです。しかし、困難を乗り越えた時ほど自分の可能性が開かれ、気分は高揚し、万能感に包まれる瞬間はないのです。嫌なことを好きになる必要はありません。嫌なことは大嫌いで良いのです。だからこそ、嫌なことを乗り越えるのは楽しく、解消するのは最高であります。困難とは、単なる踏み台に過ぎません。踏み台は素直に踏んでしまえば良いのです。

3.津田梅子(1864~1929)
凡ての事皆智識が本にて成り立つものなり。教育完(まった)からざれば世界の文明に遅る。世界の文明に遅る国は遂に亡びむ。
勉強とは、先生からではなく本から教わるのだ、と考え始めたのはつい最近の事です。先生は本に書いている内容を媒介しているだけなのだ、という暴論も言えます。しかし、完璧に正しい先生が存在しないように、完全な本もまた存在しません。活字で書いてあると、何もかもが一見正しく見えてしまいますが、活字が間違っていることもあります。だからこそ、良い本を見抜ける、高い審美眼を養っていきたいものです。

小松雄也

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「G戦場ヘヴンズドア」日本橋ヨヲコ 小学館 IKKI COMIXS

2月の投稿は日本が世界に誇る文化「マンガ」から始めたいと思います。
特にこの「G戦場ヘヴンズドア」は私の魂を揺さぶった名作です。
全3巻で完全版も出ています。自分を変えたい人は一読を!

作者曰く、題名は「Gペンの戦場で戦った者だけが見える聖域」という意味であるそうです。
この漫画はどのページを開いても熱い温度を感じられます。
情熱と覚悟が奮い立たせられます。この漫画がきっかけで「赤い戦車」という戸川純の曲と出会いました。この曲もまた私が挑戦するときのBGMとなりました。
胃の底が熱くなった。オレはその時差し出されたこいつの右手が、天国への扉に見えたと言ったら笑われるだろうか―――いやかまやしない―――
人との出会いが、人生をより豊かにしていきます。私は川崎市内での活動を通じて、様々な立場や世代の人たちと会ってきました。自分の話に共感してくれる人、逆に全く興味を示さない人とも一所懸命に話しました。その中で、熱く誠実な、多くの清々しい人たちに巡り合いました。彼らには、必ず受け取った以上の誠実さで応えようと意識しています。まだまだお金はありませんが、信用と信頼を積み重ねて川崎市に貢献して行くつもりです。

2 自分の目を肥やす
鉄男は自分の目でものを見るわ。噂や見かけにまどわされずにね。バラしたところであんたの評価は変わらない。あの子はそういう子よ。あんたはどうかしらね?
審美眼とは、美しいものと醜いものとを見分ける能力です。私も、ネット社会に参画する際に時として批判的になってしまうことがあります。しかし、その場合の多くは、他人の頭を中心に考え、誰かの意見を無意識に猛進してしまうケースがほとんどです。自分の頭で考えたものではないので、少しでも視点が変わる質問を突きつけられると、答えに窮してしまいます。だからこそ、責任を持って自分自身の考えを発展させることが重要なのです。

3 走れ、しかし慎重に
君にこれから必要なのは、絶望と焦燥感。何も知らずに生きていけたらこんなに楽なことはないのに、それでも来るか、君はこっちに。
時間はたくさんあるようで、実はあんまりありません(分かるようで分かるこの感覚はAIがまだ到達できない領域だそうです)。このような矛盾以外の何物でもない言葉でも、感覚的にしっくりきてしまうのが人間であります。ゆったりした時間も素晴らしいですが、毎日何らかの形で刻限は迫ってきています。生き急ぐと言いますが、そのような生き方もどこかで持っておくと良いのかもしれません。絶望は反省を生み、焦燥は尻を叩く。いずれも人生を豊かで充実したものにするためのスパイスであります。

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「ボクの音楽武者修行」小澤征爾 新潮文庫

本作は、彼が26歳の時に、渡欧の経験を自伝としてまとめたものです。
小澤征爾は神奈川県川崎市幸区戸手町で過ごしたこともあり、本書の中で「川崎で飲む」という言葉が著者の当時の手紙の中で頻繁に登場します。地元・川崎市に縁があるとは、何とも嬉しいものです。

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)
1. 新しいことに挑戦する喜び
全く知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じのするもので、ぼくはそのたびにシリと背中の間の所がぞくぞくしちまう。日本を出てから帰ってくるまでの、二年余り、いくつかのゾクゾクに出会った。
私は高校を卒業した後、大学には行かず(どこも受からずに笑)にカナダのバンクーバーへと飛び込んだ経験があります。初の単身での海外渡航、行の成田空港出発ロビーは、既に経験したことのない異世界でありました。拙い英語力で色々な国の人たちへ、一所懸命に話しかけました。心細かったですが、同時に何とも言えない高揚感がありました。あの時の感覚は、今でも昨日のことのように覚えています。

2. 動けば打開できる
外国の応募者にまじって、言葉のよく通じないぼくが孤軍奮闘しようというのだから、その悲壮ぶりを想像していただきたい。
カナダに着いた後はすぐに滞在先の近くにある公園に行き、地域コミュニティーに飛び込みました。そこにいたのは中学生の野球チームで、練習を見守っている父兄の人たちへ声をかけてみました。「今日、私は日本から来たのだ!」と力強く伝えると、彼らは私を快く歓迎してくれました。何とその次の日には、50人くらいが参加したハンバーガー・パーティに招待してくれたのだから、驚きでした。私の不安はどこかに吹き飛んでしまいました。例え心許なくとも、力いっぱいに挑戦すれば、素晴らしい道は自ずと開けてくるのです。

3. 食う寝るはエネルギーの源
何より、柔軟で鋭敏で、しかもエネルギッシュな体を作っておくこと。また音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりでスコアに向かうこと。
カナダでの野球生活が始まりました(名目は語学留学なのに)。運動不足の体では、彼らと渡り合うことは難しいです。私はどういうことか、留学二日目にして彼らの打撃コーチとして、チームに参加することになりました。しかし、夏の練習は非常に体力を消耗します。私に語学学校へと通う気力は、既にありませんでした(おい!)。これだけは本当にもったいないことをしました。何をするにせよ、体力だけはつけておくに越したことはありません。

こちらも朝日中高生新聞で書評を書きました。なかなか好評だった記事です。
朝日中高生新聞20160515「ボクの音楽武者修行」小澤征爾 小さい
「異国で奮闘する姿に勇気」
この本は、世界的な指揮者である小澤征爾が26歳の時に書いた自伝的エッセイです。小澤氏は音楽家として生きる道を決心し、ヨーロッパを周る中で、数多くの手紙を家族や友人に送りました。文中には当時の手紙がそのまま引用されているので、異文化の中で奮闘する様子を、読者も追体験することができます。
私は高校を卒業してすぐに、カナダのバンクーバーに留学しました。その時に日本から持ち込み、辛いことや苦しいことがある度に読み直したのがこの本です。
ギターを背負い、日の丸を掲げたスクーターでフランスを巡る作者の一人旅は、好奇心と喜びに満ちあふれています。見知らぬ人たちと出会い、試行錯誤しながらも自分の意志を表現することで、新しい道を切り開いていく……。行き当たりばったりだけれど、徹底した努力と持ち前の固い信念で、国際的な指揮者コンクールに挑戦していく様子は、初めて異国の地で生活する私を、大いに励ましてくれました。
留学の際に、落ち込んだとしてもこの本を読めば、きっと立ち上がるエネルギーが湧いてくるはずです。

小松雄也

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「ウォルト・ディズニー すべては夢みることから始まる」 PHP文庫

ディズニーランドは知っていても、創業者であるウォルト・ディズニーのことはあまり知らないのではないでしょうか。この本はウォルト・ディズニーの言葉と彼の着手した事業について詳細に描かれています。ミッキーマウスはいかにして生まれたのでしょうか。私は各ページの扉にある原文である英語で書かれたウォルト・ディズニーの言葉が好きです。
新しい事業を考えるときは、徹底的に調べつくす。表面的なことだけじゃなく、関連するすべてをね。そして一度始めたら、最後まで信じ続けるんだ。
一つの興味ある分野について調べる際、その周辺の領域と出会うことが、何よりも面白いです。(辞書で調べた言葉の両隣をついでに読み込む感じ) 特に、好きな作家がエッセイ等の中で紹介してくれた本は格別です。三島由紀夫は、私にラディゲやバルザック、フローベルやドストエフスキーを教えてくれました。三島は太宰治の悪口を詳細に述べることで、太宰の魅力を懇切丁寧に解説してくれました。終わりの見えない本から本への旅こそが、いつも私を豊かにしてくれると思います。

2.具体的に今何をするべきか
この仕事に将来性があり、今後も成長していく機会に恵まれているなら、決してその可能性に無頓着な人間を相手にしたり、利益にしか理解や関心を示さない人間に応じたりはしない。
夢や目標を語る人は、二つのタイプに分けられます。一つは、ただの願望に過ぎず、そのために現在何かをしているわけではない人たち。もう一つは、理想の実現のために未来から逆算して、既に動いている人たちです。前者の人たちは、大抵の場合、話の内容が他力本願であり、シンデレラストーリーを望む傾向にあります。一方後者の人たちは具体的な実現のためのプロセスを生き生きと語り、皆が楽しそうにしています。皆さんはどちらのタイプでしょうか。

3.自分の肌感覚に誠実であれ
小さいころに読んだ美術書に、若き芸術家は自分に正直であれと書かれていた。
芸術家と聞くと、私は必ず川崎市出身の岡本太郎を連想してしまいます。氏は、すべて人間は芸術家であれ、と言います。芸術家という言葉は「何かを生み出す人」と言い換えた方が分かりやすいかもしれません。絵を描く人や、曲を作ったり演奏したりする人に限らず、例えば、生活をよりよくするために、日常にちょっとした工夫を加える主婦の人もまた彼の定義する芸術家なのです。私たちは誠実さを持って、日常に何かを足していくことが求められています。

こちらも朝日中高生新聞で「中学生・高校生ならディズニーランド好きだろう」という安易な発想で書評しました。内容も素晴らしい本なのでぜひぜひ!
「ウォルト・ディズニー  小さい
「信念に基づく行動から学ぶ」
「生涯をかけて夢をみて、それをかなえ続けた人、ウォルト・ディズニー」。彼の人生は、決して順風満帆に進んだ歩みではなく、困難の連続でした。初めて設立したアニメーション会社は倒産し、借金を背負い、成功した後も、配給会社にスタッフを引き抜かれてしまう。しかし、そのような絶望的な状況でさえも、彼は決して諦めません。人を楽しませようという信念の下、何度でも立ち上がります。
私は学生時代に読書普及のための会社を立ち上げましたが、数多くの失敗を経験しています。自分の情熱を上手く伝えることができないゆえに、仕事が円滑に進まず、辛くて挫けそうになった日もありました。しかし、自分よりもはるかに困難な状況を打開する彼の姿に、さまざまな場面で勇気をもらいました。
信念に基づく行動は、時に不可能を可能にします。私にとって困難を乗り越えた上での成功は、この上なく貴重な体験となりました。ディズニーが好きな人も、そうでない人も、この本を読むことできっと新しい学びを得られるはずです。

小松雄也

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「学校って何だろう」苅谷剛彦 ちくま文庫

この本は私の大学入学時に、小・中・高と同じ学校で勉強した友人から受け取った本です。当時の同級生は既に4年生で、最後の1年間だけを大学生として共に過ごしました。
学校の先生になりたいというその友人は、本書の著者から大学で直接指導を受けていました。教育学について熱く語う仲です。「学校って何だろう」という題名の通り、自分たちが当たり前に受けていた教育について、深く考えるきっかけとなれば幸いです。

学校って何だろう―教育の社会学入門 (ちくま文庫)
1.教育とは、座ることから始まる
その退屈な授業が、数学であれ、英語であれ、それぞれの教科とは別に、もう一つ大切なことを学んでいます。本当は自分のしたくないことでも、じっとがまんすること。耐えること。つまり、忍耐力を身につけているのです。
話と内容が貧しい授業は、例え大学生になっても耐えがたい苦痛であります。私の場合、まだ義務教育を受けていた時分の方が、明らかに退屈な授業に対しての忍耐力があったのではないかと思います。今では、面白くない講演会や授業に遭遇すると、直ちにそこから立ち去りたい衝動を抑えることができません。(本当に酷いと帰ります)いやはや、これこそが教育の成果でしょうか。

2.何もかもが教育的見地から判断される
日本の学校では、いろいろな活動が「よい大人になる」ための教育活動と見なされ、教育の範囲に入り込んでくることが多いのです。
「よい大人」と言うが、そもそもまともな大人は圧倒的に少数派だと気付きました。社会とは「大きい子供」が多数を占めているのではないでしょうか。「天真爛漫な中年男性」「少女のように振る舞う中年女性」恐ろしい。冗談のように書いたが、結構な数の該当者がいるかもしれないので、一概に笑い飛ばすことはできません。年齢にふさわしい精神性のためには、それこそ教育の力が必要なのです。

3.他の劇団員からの陰口を恐れる人へ
生徒という役割を演じるうえで、ほかの生徒を一番重要な観衆であるとする見方が強まっているということです。
他人の目を気にする人は多いですが、大抵の場合、他人は自分のことをそこまで注視してはいません。人の評価を気にしたり、バカにされることを恐れたりすることは、ある程度ならば自然でありますが、極度に気にかけるならば、それは自意識過剰と言わざるを得ません。少しでも気になる際は、少数の信頼できる友人にだけ、アドバイスを求めるのが一番です。他人はそれほど自分に対して、興味を持っていないということを肝に銘じましょう。

小松雄也